40代からの発達障害

自閉症スペクトラムは電気羊の夢を見るか

発達障害者が言われる「思ってたより普通ですね」の意味

 私の書くものは「可もなく不可もなく」「普通」と言われがちです。同志の皆さんにはわかっていただけると思いますが、もちろんそれは訓練の賜物なのです。その訓練が果たして必要な訓練だったのか、ということについて、最近は悩み始めています。


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ブログは意味もなく猫の写真をはればいいと聞いた


 この世界に過剰に適応しようとしてきた結果なんですよ。出る杭は打たれるらしい、なるべく叩かれたくない、批判を極度に恐れた者が行き着く先が「可もなく不可もなく」。自分を普通に記すだけだと世間からズレが生じる。それを修正し続けてきた。終着点が「面白みがない」「つまらない」であることを知らず、修正し続けてきてしまった。


 直さなければよかった。なぜあんなに嫌われることを恐れていたのか。


 それでも漏れ出るおかしさは当然あって、書くものが一見普通に見えても大学(学部)に通算9年通うというあからさまなプロフィールの異様さから「このひとおかしいよな」と感づかれます。いま「感づかれる」って書いたけど、それは主観であって、学部に9年通うって明らかにおかしいから。その客観的には完全におかしいことに気がつかず文章上では「普通」を装ってたんだから滑稽なものですね。客観で完全におかしいのだからおかしい人としての人生をまっすぐに生きるべきだった。


 でまあ「このひとおかしいよな」と薄々思いながらも私のネットの文章を読んでくれた人にリアルで会うとどうなるか、それが「思ってたより普通ですね」です。


 もう星の数ほど言われてきたよ。「思ってたより普通ですね」とか「意外と普通の人だった」とか。


 同志の皆さんにはわかっていただけると思いますが、当然、かりそめの姿なわけです。必死に普通を装った姿。いま思えばナチュラルボーン定型発達のかたたちには完璧にバレていきましたけどね。バレると9割が去って1割が「このひと私にないものを持ってるっぽい、面白い」と誤解してくれて近寄ってくれる。ありがたい。そうしたありがたい人たちと私は平気で音信不通になるわけですが。なんでメールの返事ってあんなにめんどくさいの。仲良くしたいのにちょっとメールの返事を返さないだけで一気に連絡取りづらくなってみんな縁が切れたよ。すべての連絡手段の中で最も気楽なたぐいのメールですらそうなんだから他の連絡手段なんかもっとめんどくさくてまったくやらないに決まっている。


 漏れ出るおかしさに面白みを感じたのにリアルで会ってみたら「思ってたより普通」だった。これ完膚なきまでに期待はずれ物件てことです。残念感を抱いて人々は去っていきます。


 逆に、必死こいて普通を装ってる私の姿が第一印象だった人々はどうなるかというと、ステルスしきれない部分を徐々に感じ取っていき「この人、おかしいひとだな……」と恐怖感を抱いて去っていきます。


 つまり全員去ります。


 「思ってたより普通ですね」と言われがちな皆さん、今一度スタンスを考えてみてください。中途半端な立ち位置が一番つらい。定型ステルスがストレスなら、いっそおかしさ全開で生きたほうが楽だし面白がってくれる人々が珍重してくれる道もあります。


 私は迷ってます。40代から発達障害的な部分を全開にしたとして、果たしてそれはただのキチガイなのではないかと。でももうそっちのが楽だし謎に定型社会が評価してくれることもある。今は「普通、やめよう」という気持ちに傾いています。